楽しくて、嬉しくて、とても幸福なライブでした。
そして、最後で、心を感情を、完全にもっていかれてしまいました。
ツアー直前に入院してしまった、ケンケンの復帰ライブ。
モニターに映ったケンケンの姿を見れたときに、
おかえりなさい!って言葉がこみ上げて来た。
Plastic Treeのドラマー。4人のPlastic Tree。
サポートドラマーをむかえてのツアー中、
いちばんケンケンの不在を感じてしまった曲は、エとセとラでした。
サポートで入った2人のドラマーの方の演奏は、
元気で跳ねるように明るく、
それまでに感じれていたエとセとラとは全く違う曲のように感じていました。
ケンケンのエとセとラ。
心の奥底にある苦しさを、気にしてないよってごまかしながら、やっぱりごまかせなくて認めながら、昇華をしていくような。
そんな絶妙な感覚を、表現してくれる音。
他の曲も、これだなぁってしっくり感じることが嬉しくて、
空間がほんとうのPlastic Treeであることが楽しくて、
中盤からはどうにも幸福感を感じれてしょうがなかったです。
決して明るい曲をやるバンドではないし、オーディエンスもライブをやる(踊って歌って身体で表現するような)ライブではないけれど、
たまらなく楽しい気持ちが押し寄せてきて、
ずっと笑ってたし、手をあげたり歌ったりというのが意識せずに表せてしまうようでした。
楽しかった。
ハッピーな気分でした。
プラのホールのライブは、目に見える色や影や光が、ほんとうに美しいです。
それぞれのステージングも曲をしっかり表現し、魅せていて、聴覚と視覚、そこからの感情がぐるぐると渦巻いていくような空間。
バンドのライブに視覚の演出が必要かそうじゃないかという話ではなく、
ライブ空間を、何かを表現するアートとしてとらえたときに、
つくづく、音を視覚でもここまで見事に表現できるバンドはいないだろうとおもいます。
バンドが、音楽とライブで何かを表現をするという可能性を、決してあきらめないし、追求しています。
この空間、目に見えない瞬間に、手に取れない時間の中に置いていく出来事そのものが、Plastic Treeという作品。
強く美しく残す、目には見えない、彼らのアート。
この日の東京は、朝からずっと雨が降り続いていました。
残っていた桜も、みるみる散っていく、春の入り口の終わりの、雨。
「各地でずっと、武道館では全員で桜が見れたらいいなってゆってたんですけど、
願えば叶うものですね」
ツアー中は、アンコールでやっていた春咲センチメンタルを、本編の終盤で演奏していました。
艶やかな濃いピンクのライトが、少し艶かしいプラの桜を表現していて美しかったです。
そして、
「君に触れたようです」のフレーズのところでは、
薄い、まさに桜色のライトと、グリーンの桜の葉の色をしたライトが交差していて、
来るときに見た、半分は花びらが散ってしまった、葉桜の木とシンクロするようで、
その美しさに、ぞくっとしました。
曲の終わりには、大量の桜の花びらが舞い、
「舞い散る桜で君の顔が見えなくなる」
という歌詞そのもののようでした。
美しい、美しい、Plastic Treeの春。
曲を聴きながら、自分が見た桜を思い出していました。
一週間前に、王子動物園で観た夜桜。
その日に、そこで亡くなったという、子象のオウジ。
オウジは、生まれたときからの病気で立つことができず、表ではなく、裏で寝たきりで生きていたそうです。
あたしは逢うことはもちろんできず、その存在は、動物園で働く友達が教えてくれました。
亡くなったことも、彼女から聞きました。
大切だったものは 全部 この樹の下に埋めていくよ
目の前には、別れる春
見上げたなら、花降る春
そして本編最後は、アンドロメタモルフォーゼでした。
自分が死んだときに、みんなに聴いてもらえたらとおもっている曲です。
あたしが想う愛のカタチに近い曲。
動物園に生まれながらも、たくさんの人に出逢うことも知られることもなく、死んでしまったオウジ。
幸せだったろうか。
たくさんの人にではなくても、そこできっと愛されていたオウジ、幸せだったろうか。
たとえひとりにでも、想われ、強く愛される生命は、幸せなことであれば。
そんなふうに、愛せることもまた、幸せだとおもう。
たくさんの人に知られなくても、愛されなくても、
自分が心から何かを愛せることは、幸せだとおもいます。
一緒に居られると楽しいということだけが愛ではなく、
辛いことも苦しいことも、一緒がいいと想えること。
そんな風に愛されることは、幸せだと感じていて欲しいとおもうから、
そんな気持ちにさせてくれるものを、きちんと、愛せていけたら。
きっと愛されていたオウジのことを想い、
自分が想う、愛するもののことを、
目の前にある、大好きな大好きなこのバンドのことを、
息苦しいくらいに愛してることを感じてしまっては、
ぽろぽろと涙が溢れてしまう。
自分の中に浮かんでくる感情を、しっかりと受け止められず混乱したときに、感情が追いつかず耐えきれず涙が出てきてしまいます。
この季節には、きっと、オウジのことを思い出すとおもう。
ケンケンの復帰を喜ぶ空気は溢れつつも、メンバーさんはいつもとさほど変わらない様子でした。
MCで復帰の報告をするときに、ケンケンはもうほとんど涙目だったけれど、
「おいは、泣き笑いがよかとです」と、
会場はずっと、和やかな幸福溢れるような空気に包まれていました。
4人でステージで座り込んで「良いお花見ができましたねー」とほのぼのしたり、
ニコ生のときの罰ゲームで、竜太郎さんが会場をウェーブさせたり。
ぐだぐだなとろんとろんな進行に、たどたどしくもしっかりついていけてしまうくらげのみなさん。
この独特なプラとお客さんの生み出す空気もとても好きです。
アンコールの仮の最後(?)では、
竜太郎さんが両手を広げ構えて、ケンケンが飛びついてお姫様抱っこされていました。
そして、メンバーさん4人で「手をにぎにぎ」して、
お客さんたちもみーんなで手をにぎにぎして、全員で跳んで、ライブは終わりました。
そのまま暗転して、
事前に知らされていた「発表」がスクリーンに。
ニューシングルがリリースされるとのこと。
ライブの2曲めでやっていたのが、6月にリリースされる新曲でした。
続いて、歌詞つきでPVを流してくれました。
新曲は、また新しいようでいて、でもプラでしかない、らしく感じるような曲だったとおもいます。
一定に響いていた、ピアノのような音が残ってます。
歌詞に「美しい嘘」というフレーズがあったこと。それに、どきっとしたこと。
タイトルは、「くちづけ」
PVが終わり、一瞬、
これで帰らなきゃいけないのかなと考えたところで、
引き続きスクリーンに映るのは、正さんと明さんでした。
通路のようなところを歩いている映像でした。
なんだろう?とざわざわする会場、そしてステージに近づいてくるライト。
リアルタイムの映像だったんだ。
再びステージにあがって、楽器を持つふたり。
奏でる音は、暗転―――。
インストゥルメンタルの曲です。
何度も、何度も繰り返す、暗転のギターとベースの音。
重なるシーケンス。
ほんとうに何度も。
5分くらいはその前兆が続いたんじゃなかったろうか。
そもそも、フロアはまだアンコールを呼んではなく、
これは一体なんなのだろうと、
なぜ彼らは再びステージにあがってるのかも、
どうなるのかもわからず、
ただ、ステージに意識が集中してしまいます。
あまりにも繰り返す音が長く、何が起こるのか、
だんだんと、ざわざわと、不安に近いような気持ちにさえなる。
気づけば、ステージにはケンケンもいて、
スクリーンに映った姿は、目の部分だけの仮面をつけていました。
そして鳴らされたドラムの音。メロディは、
空中ブランコ。
暗転から、まさか。
「テント」というタイトルにぴったりなこの曲が、
こんなシチュエーションで演奏されるなんて。
(繰り返しますが、アンコールが終わり、スクリーンでの発表が終わったあとの出来事です)
そしてボーカルが入り、スクリーンに映ったのは、道化師になった竜太郎さんでした。
前髪をあげて、おでこをあらわに、白塗りなピエロ。
曲が始まっても、どうしてこんな流れになっているのか、
なぜプラは今ここでまた、空中ブランコなんていう曲を、
こんな状態で演奏しているのか、
完全に道化師になっている竜太郎さんの姿を眺めながら、
混乱と衝撃とで、思考回路も感情もぐちゃぐちゃなままでした。
目に見えない感情の混乱が、身体機能まで乱してく。
呼吸がうまくできない。心臓がリズムよく動いていない。
頭の中は、空っぽのようでもあり、一斉に何かが押し寄せているようでもあり、
あまりの出来事に、自分をコントロールできなくなっていました。
空中ブランコもまた、
あたしが感じている愛の最終形に近いです。
残酷な、救いようのない、絶望的な、愛。
重く、残酷に繰り返す愛の言葉。
冷たすぎて火傷をするように、
想いすぎて壊してしまうように、
愛しすぎて、絶望するように。
冷静に、情熱を焼き付けるような歌と演奏。
もはや、何を感じているのかもわからず、最中なのに、放心していました。
竜太郎さんは終始パントマイムのような動きで、道化師そのものでした。
ひっかくようにのびるベースの音をギターの音が傷つけ、
ドラムが突き落とし、すぱっと曲が終わったと同時に、
操り人形の糸が切れたように、竜太郎さんはその場に崩れ落ちて止まった。
そしてさっと幕が閉まり、テントが閉じられ、
その瞬間、会場の電気がばばっと音がするように、一斉に点いて明るく真っ白になった。
真っ暗なサーカスの夢から、
真っ白な現実に、一気に引き戻されてしまった。
何が起きたのかよくわからない。
えっ!?と混乱しながら、
じりじりと鈍く締め付けられていた身体を、一瞬にして、緩められてしまったように、
気が抜けた。
視界も、心も頭も、真っ白にされてしまった。
いまの…なに?
なにこれ…
なに、このバンド…
…なに!このバンド!!
手も身体も震えるし、
心臓はばくばくと不定期に動いて、
感情は混乱と衝撃で、感じることも考える機能も、とんでしまった。
びっくりした。
びっくりしたし、感動したとかいうレベルじゃない衝撃を投げつけ切りつけ締め付けられた。
ほんとうにおどろいた。
こんなの、こんな魅せ方、
なに…
プラってなんなの!!
プラって…すごいとしかいいようがないです。
甘くみてた。
どこまであるのこのバンドのポテンシャル。
こういう空気は決して初めてではなく、
思い浮かぶのは、いつかの中野2daysの3月5日。だったり、
プラには、何度も驚かされてきていて、
けれど今回は、
その比ではないくらい、びっくりして、
感動以上に、
事件に近いほどの出来事で、衝撃的でした。
すごかった。
すごいものを観てしまった。
すごいバンドを好きになってしまった。
観られてよかったです。
ほんとうに。
あたしは、一生このバンドが、好きだとおもう。
すごいバンドを、好きになってしまった。
痛い青
くちづけ(新曲)
メルト
エとセとラ
讃美歌
静脈
37℃
蒼い鳥
ガーベラ
うわのそら
藍より青く
デュエット
涙腺回路
メランコリック
春咲センチメンタル
アンドロメタモルフォーゼ
(en)
ヘイト・レッド、ディップ・イット
puppet talk
(告知映像/くちづけ)
空中ブランコ
そして、最後で、心を感情を、完全にもっていかれてしまいました。
ツアー直前に入院してしまった、ケンケンの復帰ライブ。
モニターに映ったケンケンの姿を見れたときに、
おかえりなさい!って言葉がこみ上げて来た。
Plastic Treeのドラマー。4人のPlastic Tree。
サポートドラマーをむかえてのツアー中、
いちばんケンケンの不在を感じてしまった曲は、エとセとラでした。
サポートで入った2人のドラマーの方の演奏は、
元気で跳ねるように明るく、
それまでに感じれていたエとセとラとは全く違う曲のように感じていました。
ケンケンのエとセとラ。
心の奥底にある苦しさを、気にしてないよってごまかしながら、やっぱりごまかせなくて認めながら、昇華をしていくような。
そんな絶妙な感覚を、表現してくれる音。
他の曲も、これだなぁってしっくり感じることが嬉しくて、
空間がほんとうのPlastic Treeであることが楽しくて、
中盤からはどうにも幸福感を感じれてしょうがなかったです。
決して明るい曲をやるバンドではないし、オーディエンスもライブをやる(踊って歌って身体で表現するような)ライブではないけれど、
たまらなく楽しい気持ちが押し寄せてきて、
ずっと笑ってたし、手をあげたり歌ったりというのが意識せずに表せてしまうようでした。
楽しかった。
ハッピーな気分でした。
プラのホールのライブは、目に見える色や影や光が、ほんとうに美しいです。
それぞれのステージングも曲をしっかり表現し、魅せていて、聴覚と視覚、そこからの感情がぐるぐると渦巻いていくような空間。
バンドのライブに視覚の演出が必要かそうじゃないかという話ではなく、
ライブ空間を、何かを表現するアートとしてとらえたときに、
つくづく、音を視覚でもここまで見事に表現できるバンドはいないだろうとおもいます。
バンドが、音楽とライブで何かを表現をするという可能性を、決してあきらめないし、追求しています。
この空間、目に見えない瞬間に、手に取れない時間の中に置いていく出来事そのものが、Plastic Treeという作品。
強く美しく残す、目には見えない、彼らのアート。
この日の東京は、朝からずっと雨が降り続いていました。
残っていた桜も、みるみる散っていく、春の入り口の終わりの、雨。
「各地でずっと、武道館では全員で桜が見れたらいいなってゆってたんですけど、
願えば叶うものですね」
ツアー中は、アンコールでやっていた春咲センチメンタルを、本編の終盤で演奏していました。
艶やかな濃いピンクのライトが、少し艶かしいプラの桜を表現していて美しかったです。
そして、
「君に触れたようです」のフレーズのところでは、
薄い、まさに桜色のライトと、グリーンの桜の葉の色をしたライトが交差していて、
来るときに見た、半分は花びらが散ってしまった、葉桜の木とシンクロするようで、
その美しさに、ぞくっとしました。
曲の終わりには、大量の桜の花びらが舞い、
「舞い散る桜で君の顔が見えなくなる」
という歌詞そのもののようでした。
美しい、美しい、Plastic Treeの春。
曲を聴きながら、自分が見た桜を思い出していました。
一週間前に、王子動物園で観た夜桜。
その日に、そこで亡くなったという、子象のオウジ。
オウジは、生まれたときからの病気で立つことができず、表ではなく、裏で寝たきりで生きていたそうです。
あたしは逢うことはもちろんできず、その存在は、動物園で働く友達が教えてくれました。
亡くなったことも、彼女から聞きました。
大切だったものは 全部 この樹の下に埋めていくよ
目の前には、別れる春
見上げたなら、花降る春
そして本編最後は、アンドロメタモルフォーゼでした。
自分が死んだときに、みんなに聴いてもらえたらとおもっている曲です。
あたしが想う愛のカタチに近い曲。
動物園に生まれながらも、たくさんの人に出逢うことも知られることもなく、死んでしまったオウジ。
幸せだったろうか。
たくさんの人にではなくても、そこできっと愛されていたオウジ、幸せだったろうか。
たとえひとりにでも、想われ、強く愛される生命は、幸せなことであれば。
そんなふうに、愛せることもまた、幸せだとおもう。
たくさんの人に知られなくても、愛されなくても、
自分が心から何かを愛せることは、幸せだとおもいます。
一緒に居られると楽しいということだけが愛ではなく、
辛いことも苦しいことも、一緒がいいと想えること。
そんな風に愛されることは、幸せだと感じていて欲しいとおもうから、
そんな気持ちにさせてくれるものを、きちんと、愛せていけたら。
きっと愛されていたオウジのことを想い、
自分が想う、愛するもののことを、
目の前にある、大好きな大好きなこのバンドのことを、
息苦しいくらいに愛してることを感じてしまっては、
ぽろぽろと涙が溢れてしまう。
自分の中に浮かんでくる感情を、しっかりと受け止められず混乱したときに、感情が追いつかず耐えきれず涙が出てきてしまいます。
この季節には、きっと、オウジのことを思い出すとおもう。
ケンケンの復帰を喜ぶ空気は溢れつつも、メンバーさんはいつもとさほど変わらない様子でした。
MCで復帰の報告をするときに、ケンケンはもうほとんど涙目だったけれど、
「おいは、泣き笑いがよかとです」と、
会場はずっと、和やかな幸福溢れるような空気に包まれていました。
4人でステージで座り込んで「良いお花見ができましたねー」とほのぼのしたり、
ニコ生のときの罰ゲームで、竜太郎さんが会場をウェーブさせたり。
ぐだぐだなとろんとろんな進行に、たどたどしくもしっかりついていけてしまうくらげのみなさん。
この独特なプラとお客さんの生み出す空気もとても好きです。
アンコールの仮の最後(?)では、
竜太郎さんが両手を広げ構えて、ケンケンが飛びついてお姫様抱っこされていました。
そして、メンバーさん4人で「手をにぎにぎ」して、
お客さんたちもみーんなで手をにぎにぎして、全員で跳んで、ライブは終わりました。
そのまま暗転して、
事前に知らされていた「発表」がスクリーンに。
ニューシングルがリリースされるとのこと。
ライブの2曲めでやっていたのが、6月にリリースされる新曲でした。
続いて、歌詞つきでPVを流してくれました。
新曲は、また新しいようでいて、でもプラでしかない、らしく感じるような曲だったとおもいます。
一定に響いていた、ピアノのような音が残ってます。
歌詞に「美しい嘘」というフレーズがあったこと。それに、どきっとしたこと。
タイトルは、「くちづけ」
PVが終わり、一瞬、
これで帰らなきゃいけないのかなと考えたところで、
引き続きスクリーンに映るのは、正さんと明さんでした。
通路のようなところを歩いている映像でした。
なんだろう?とざわざわする会場、そしてステージに近づいてくるライト。
リアルタイムの映像だったんだ。
再びステージにあがって、楽器を持つふたり。
奏でる音は、暗転―――。
インストゥルメンタルの曲です。
何度も、何度も繰り返す、暗転のギターとベースの音。
重なるシーケンス。
ほんとうに何度も。
5分くらいはその前兆が続いたんじゃなかったろうか。
そもそも、フロアはまだアンコールを呼んではなく、
これは一体なんなのだろうと、
なぜ彼らは再びステージにあがってるのかも、
どうなるのかもわからず、
ただ、ステージに意識が集中してしまいます。
あまりにも繰り返す音が長く、何が起こるのか、
だんだんと、ざわざわと、不安に近いような気持ちにさえなる。
気づけば、ステージにはケンケンもいて、
スクリーンに映った姿は、目の部分だけの仮面をつけていました。
そして鳴らされたドラムの音。メロディは、
空中ブランコ。
暗転から、まさか。
「テント」というタイトルにぴったりなこの曲が、
こんなシチュエーションで演奏されるなんて。
(繰り返しますが、アンコールが終わり、スクリーンでの発表が終わったあとの出来事です)
そしてボーカルが入り、スクリーンに映ったのは、道化師になった竜太郎さんでした。
前髪をあげて、おでこをあらわに、白塗りなピエロ。
曲が始まっても、どうしてこんな流れになっているのか、
なぜプラは今ここでまた、空中ブランコなんていう曲を、
こんな状態で演奏しているのか、
完全に道化師になっている竜太郎さんの姿を眺めながら、
混乱と衝撃とで、思考回路も感情もぐちゃぐちゃなままでした。
目に見えない感情の混乱が、身体機能まで乱してく。
呼吸がうまくできない。心臓がリズムよく動いていない。
頭の中は、空っぽのようでもあり、一斉に何かが押し寄せているようでもあり、
あまりの出来事に、自分をコントロールできなくなっていました。
空中ブランコもまた、
あたしが感じている愛の最終形に近いです。
残酷な、救いようのない、絶望的な、愛。
重く、残酷に繰り返す愛の言葉。
冷たすぎて火傷をするように、
想いすぎて壊してしまうように、
愛しすぎて、絶望するように。
冷静に、情熱を焼き付けるような歌と演奏。
もはや、何を感じているのかもわからず、最中なのに、放心していました。
竜太郎さんは終始パントマイムのような動きで、道化師そのものでした。
ひっかくようにのびるベースの音をギターの音が傷つけ、
ドラムが突き落とし、すぱっと曲が終わったと同時に、
操り人形の糸が切れたように、竜太郎さんはその場に崩れ落ちて止まった。
そしてさっと幕が閉まり、テントが閉じられ、
その瞬間、会場の電気がばばっと音がするように、一斉に点いて明るく真っ白になった。
真っ暗なサーカスの夢から、
真っ白な現実に、一気に引き戻されてしまった。
何が起きたのかよくわからない。
えっ!?と混乱しながら、
じりじりと鈍く締め付けられていた身体を、一瞬にして、緩められてしまったように、
気が抜けた。
視界も、心も頭も、真っ白にされてしまった。
いまの…なに?
なにこれ…
なに、このバンド…
…なに!このバンド!!
手も身体も震えるし、
心臓はばくばくと不定期に動いて、
感情は混乱と衝撃で、感じることも考える機能も、とんでしまった。
びっくりした。
びっくりしたし、感動したとかいうレベルじゃない衝撃を投げつけ切りつけ締め付けられた。
ほんとうにおどろいた。
こんなの、こんな魅せ方、
なに…
プラってなんなの!!
プラって…すごいとしかいいようがないです。
甘くみてた。
どこまであるのこのバンドのポテンシャル。
こういう空気は決して初めてではなく、
思い浮かぶのは、いつかの中野2daysの3月5日。だったり、
プラには、何度も驚かされてきていて、
けれど今回は、
その比ではないくらい、びっくりして、
感動以上に、
事件に近いほどの出来事で、衝撃的でした。
すごかった。
すごいものを観てしまった。
すごいバンドを好きになってしまった。
観られてよかったです。
ほんとうに。
あたしは、一生このバンドが、好きだとおもう。
すごいバンドを、好きになってしまった。
痛い青
くちづけ(新曲)
メルト
エとセとラ
讃美歌
静脈
37℃
蒼い鳥
ガーベラ
うわのそら
藍より青く
デュエット
涙腺回路
メランコリック
春咲センチメンタル
アンドロメタモルフォーゼ
(en)
ヘイト・レッド、ディップ・イット
puppet talk
(告知映像/くちづけ)
空中ブランコ